Sunday, April 30, 2006

Japan/culture/youth

foreign dispatchesでは、今回は日本の若者について論じています。多くの論者は日本の若者像について誤解に基づいて論じている、というわけです。妥当な論述だと思います。こうした見解がもてるというのはこの方かなり日本人と接触して生の日本を経験されているように見受けられます。中国や韓国、あるいは韓国系のkyopoと言われる人の中には、かなり妄想にみちた日本像があるように思えるのでこうした論述は貴重なものと言えます。
まあ、ギャルサーとかいう若者が(ーーー私はテレビ見ないから知らないーーー)日本の若者を代表しているとはいえませんが、日本の若者の雰囲気をよく伝えているものと思います。
で、これだけ日本に関する記述が適格ならば、韓国に関しての記述も適格といってよいのでしょうか。


日本でもracist的な人は残念ながらいます。これは否定しない。

しかし、私は個人的にはこのどちらかと言えばパッパラパーのような若者に期待しています。
彼らは、あまり既存の価値に敬意をはらっていない。肌の色や国籍による区別よりも個人に着目した評価をする。栃木弁のアクセントが若者の流行のアクセントになったり、ガングロが、あるいは韓流が流行したりする。その流行廃りに深みもなければこれと言った根拠もないだけに、既存の枠組みに対する執着もない。何に対しても「いいんじゃなあああい!!」というニヒリズムにも似た思想を身につけている。人によってはそうした風潮を否定的に評価していますが、私はそう思わない。私自身どちらかといえばニヒリストなのかもしれません。

中国韓国のnationalismをみると、戦前の日本の亜流をみるような奇妙な感覚に襲われます。朝日など、日本の左翼もむしろそうした点もを指摘すべきではないでしょうか?

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