Saturday, December 09, 2006

1876 takeshima map(J)



The map was found to show that Japanese recognized Dokdo/Takeshima as a Japanese territory. It was used as subtext for the textbook approved by Japanese government.

現在、日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)と鬱陵島について、明治時代初めに、日本国内で山陰地方の一部に属すとの認識があったことを広く示す当時の小学校用の地理の教材が、出雲市内の旧家・藤間家で保存されていることが分かった。同時期の日本側の両島の帰属先に対する見解は、日韓両国の争点の一つとなっているだけに、貴重な史料と言える。

 所蔵しているのは、出雲市大社町の藤間家の第19代当主・亨さん(78)。教材は「小学用地図」という題名の地図帳で、研究者によると、文部省が刊行した日本、世界の地理の教科書「日本地誌略」「万国地誌略」の教材として、作製された。

 表紙には、明治9年(1876年)5月、大阪書肆(し)龍章堂の出版と記載。名前が書かれている第17代当主で、亨さんの祖父・精さん(1869年―1946年)が使ったと見られる。

 問題の竹島と鬱陵島は、出雲、石見、隠岐、伯耆、因幡、但馬、丹波、丹後の地理を紹介した「山陰道之図」の中で、隠岐島の北西の方角に描かれている。位置は正確性を欠くものの、「松島」(現在の竹島)、「竹島」(同鬱陵島)と当時の名称を記してある。1905年1月に日本が領土編入した現在の竹島や、鬱陵島は、それ以前の明治初期に名称や帰属先などが不明確に。背景には、鎖国政策を敷いた江戸幕府が倒れ、明治維新という激動を経た影響があると思われる。

 日本政府は事態の収拾を急ぎ、検討の結果、太政官が1877年、鬱陵島と外一島を「本邦関係無之」と、日本領ではないとの認識を示した。外一島は現在の竹島と見られ、韓国側は日本が同島を自国領と認識していなかった証拠としている。

 だが、地籍編さんのため、76年に内務省から両島に関する照会を受けた島根県は、最終的な結論は政府に委ねつつ、山陰一帯の西部に所属すべきかと思われると回答。

 同年に出版された「小学用地図」にある「山陰道之図」は、両島を日本領とする認識が島根県だけでなく、国内に広くあり、学校でも教えられていたことを物語る。

 一方で、翌年、太政官は異なる判断をしており、日本が近代国家へ生まれ変わる際の混乱ぶりを知る上でも、興味深い。06/02/11山陰中央新報

1 comment:

Anonymous said...

This map shows both Ulleungdo and Dokdo on the map of Shimane. Ulleungdo was never considered part of Shimane Prefecture as we know. In addition the islands are not colored the same as Shimane. Thus we know this map is not an accurate guide to Shimane Prefecture.

These maps are however...

http://www.dokdo-takeshima.com/dokdo-shimane.html

Why dont' you borrow these maps for your website. You seem to like stealing images from me.

www.dokdo-takeshima.com

The truth.....