Tuesday, August 08, 2006

Japan/china/forced labor

A Chinese man forcibly brought to Japan during World War II to work at a coal mine in Kuriyama, Hokkaido, attended a memorial service for dead colleagues on Monday in the town

Japanese should keep it mind what had happened to Chinese by Japanese during War Two.

◇鳳儀萍さん、同胞の冥福祈る
 第二次世界大戦中、強制連行されて空知管内栗山町内の角田炭礦で労働に従事中、死亡した中国人の冥福を祈る「中国人殉難者供養会(くようえ)」が7日、同町の二岐(ふたまた)墓地で行われた。同炭礦に強制連行された中国広州市在住の鳳儀萍(ファンイービン)さん(75)=広州医学院第2付属医院教授=が参加し、61年ぶりに訪れた栗山町で同胞の霊に手を合わせ、町民と不戦を誓った。【吉田競】
 同墓地には戦時中、角田礦と北炭真谷地鉱、三菱大夕張鉱の3カ所の炭鉱で亡くなった中国人369人が埋葬され、慰霊碑が戦後間もない1948年に建立された。供養会は74年から毎年開かれているが、強制連行された中国人が出席するのは初めて。
 鳳さんは14歳だった44年8月、上海市内で旧日本軍に強制連行され、同10月から角田炭礦で300人余りの中国人と一緒に働いた。鳳さんは最年少で、虐待や飢え、事故などで死亡した中国人の名前や年齢、死因などをメモし、終戦後の45年10月に帰国する際に持ち帰った。メモは上海の抗戦記念館に寄贈した。「雪に没する北海道」と題する強制連行の記録が昨年、中国で出版された。
 角田炭礦で亡くなった中国人労働者は76人とされていたが、鳳さんの記憶などから、20人以上多い98人であることも判明した。
 終戦まで角田炭礦で育った元登別市職員、富樫利一さん(73)が鳳さんが生存していることを知り、供養会に招いた。供養会で鳳さんは「角田礦では中国人は名前で呼ばれず、私は41番でした。ここに来ることが出来て、いいようのない気持ちです。亡くなった同胞の冥福を祈りたい」と述べた。
 参加者は約4キロ離れた角田炭礦の坑口跡も見学。鳳さんは「毎朝、午前4時に近くに寮を全員で出発。午後11時ごろまで坑内で働き詰め。弁当は昼前に食べるのでいつもおなかがすいていた。坑内で監督の日本人にスコップなどで殴られ、死亡する中国人を何人も見た」と、当時を思い起こしていた。

8月8日朝刊
(毎日新聞) - 8月8日yahoo

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